東葛探遊⑥:江戸川の渡し – 水面に刻まれた歴史の道

1. 江戸川の肖像:人工的に造られた大河
江戸川は、関宿(千葉県野田市)で利根川から分かれ、東京湾へと注ぐ全長約60kmの河川です。しかし、その姿は自然が作ったものではなく、徳川幕府による「利根川の東遷」という巨大プロジェクトの産物です。
かつて「太日川(ふとひがわ)」と呼ばれた旧流路を改修し、江戸を水害から守る「放水路」として、また東北・北関東と江戸を結ぶ「物流の幹線(舟運)」として整備されました。この歴史的背景が、後の「渡し」のあり方に大きく影響を与えることになります。

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台湾で台湾人が歌う日本演歌① 詹雅雯特集

はじめに:台湾の心を歌う歌姫
 台湾で「演歌」といえば、真っ先に名前が挙がるのが詹雅雯(ジャン(チャン)・ヤーウェン)(注1)です。彼女の歌声は、単なる美声にとどまらず、聴く者の魂を揺さぶる深い哀愁と力強さを秘めています。今回は、日本とも縁が深く、病と闘いながらも歌い続ける彼女の足跡を紹介します。

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東葛探遊⑤ 近世流山在のモザイク村 3郷7村

近世流山の在に複数の村がモザイク状に混在する地域があり、現在でもその痕跡が大字として残っている。
何故このような村が形成されたのか?経緯を辿ってみたい。

(1) 桐ヶ谷北村・小屋村
桐ヶ谷南村の北に位置する。西を江戸川に画され、田地は刺股状に入り込む村北部の低地に広がる。

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東葛探遊④ 葛飾郡初石新田

初石新田(はついししんでん)(注1)
〈流山市〉江戸川中流左岸,下総台地上に位置する。
 (現在:流山市江戸川台西3-4丁目、富士見台1-2丁目、富士見台、東初石1-4丁目、西初石1-5丁目、おおたかの森北1-2、東1・4、南1丁目 )

〔近世〕江戸期~明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。
近世中期、上野牧(かみのまき)開発に伴い同牧内に開かれた畑新田で、西は大畔新田・桐ケ谷新田、北西は中野久木村。享保15年(1730)小宮山杢之進・後藤庄左衛門の検地を受けて成立。幕府領として幕末に至る。同年の年貢割付状によれば高165石余、反別は下々畑7町6反余・林畑(注2)70町7反余・屋敷2反余。

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東葛探遊③ 東葛飾郡新川村

私が流山市富士見台に引っ越してきてほぼ50年が過ぎた。しかし今以て地元の人と交わることもなく、エトランゼ気分が抜けないと言うか、当地について知らないことが多い。
例えば「新川」、近所には「新川小学校」とか「新川農協」とか「新川耕地」など、「新川」という呼称が散見される。この「新川」とは何か? 町名や字名にはないようだ。

調べてみると明治から昭和にかけて「新川村」があったとのこと。そして「新川」は江戸川に由来するらしい。本稿ではこの「新川村」にフォーカスしてみたい。(上掲の写真は旧・新川村の現況)

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東十二丁目誌補解の補 覚書: 音坂佐藤家

私の家の本家を「音坂(おとざか)」という。東十二丁目では、明治維新前から続いている有力旧家の一つと言えるだろう。我家はその音坂の隠居分家で、「隠居屋」と呼ばれていた。
本稿では音坂の現在から数えて2代前の当主、素一(そいち)と3代前の当主、孝清(こうせい)について記す。素一さんは私の祖母の弟である。

素一さんについて、まず「稗貫風土記 第1巻 人物篇」(八木英三編 昭和26年4月発行)の記事を転載する。大東亜戦争とその前後を足早に駆け抜けた一人の男の物語…

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